ウェブ進化論-読書メモ(2)
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
「Web進化論」を読んで自分の琴線に触れた言葉を引用しつつ、自分の理解や課題などを以下にまとめておきます。その2
ではこのロングテール現象はリアル大組織にとってどんな意味があるのか。「ネットを徹底活用しないならば何も意味がない」が正解である。
誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ひいてはウェブ全体の発展に参加できる構造。それがWeb2.0の本質である。
- 大企業は「人々は善である」という前提をなかなか置けない。何か間違いを起こした時でもお客に迷惑をかけないように、性悪説で物事を考えシステムを作り、信頼(安心・安全)を提供することをサービスの前提としているからである。実際にサイバーエージェントがGoogle八分された件に代表されるように、アルゴリズムを逆手にとって姑息な手段をとったり、違法すれすれのグレーな領域を走る人は、これからも必ずでてくるでしょう。こういうのも許容した上で、それでも「人々は善である」という前提をおいたサービスを提供するという意思決定は、エスタブリッシュメント層にはとても無理な気がする。じゃあ自分は意思決定できるのかというと、かなり楽天的に「まあなんとかなるんじゃないの」くらいに考えないと、そのリスクを真面目に想定したらとてもOKを出せそうにない。この一見相反している条件であるからこそ、そこに何か発想上の工夫する余地がありそうな気がする今日この頃。
いずれ「あちら側」のサービスのコスト構造は、「こちら側」のシステムのコスト構造の何万分の一になってしまう。
- 昔、知り合いの教授が「2桁変わると世の中が変わる」って言ってたのを思い出した。5桁になるとどうなるんだ。
そういう開放性をもった「あちら側」を利用したシステムと、完全に偏差でなければいけない「こちら側」のシステムのコスト差が、1万倍、10万倍、100万倍と大きく広がっていくというのが事の本質である。それだけのコスト差が出れば、徐々に経済合理性が働き、少しずつ大企業の情報システムも「あちら側」「開放性」といったキーワードで動き始める時がやってくる。
- さて、どの分野の情報システムから動き始めるだろうか。もっとも「あちら側」に近い「こちら側」とは何か。
- そして「こちら側」から「あちら側」に移行する可能性のあるものの共通点はなにか。
「石」を「石」だと言うことは簡単でも、「玉」を「玉でない」というのは苦しい。嘘をつくことになるからである。
- 結局「玉である」と認定する人つまり権威を持つのが誰かによって時代のベクトルが決まっている。
まさにこの「ふーん、そーだよねー」的連帯が、1000万人の総表現社会参加層で生まれることこそが、全く新しい可能性なのだと思う。
- 「ふーん、そーだよねー」的連帯の意味をまだ理解できていないかも。「薄く緩やかな合意」ってことかな。
例えばリアルタイム性に着目するという手がある。(中略)もう一つ例を出そう。「私」と「あなた」は違う。その違いに着目するという手がある。
- さすが。こういった発想の断片から梅田流発想メソッドを導き出してみたい所ですね。
ブログは個にとっての大いなる知的成長の場であるということだ。
- 全くもって同意。私もブログを書くことで自分自身が成長できることを強く願っています。